2016夏の遠征 〜5日目〜 (中湧別→計呂地・紋別・名寄→美深)

旅行記タイトルのフォーマット変えてみました。過去のやつもこの形に修正するかも。

・5日目 2016年9月2日

中湧別から湧別町営バスに乗り計呂地を目指す。かつては網走バスが中湧別から網走まで代替バスを走らせていたのだが、廃止されてしまった。湧別町営バスと佐呂間町ふれあいバスが廃止された区間の代替バスとなっているが、接続はとても悪いようだ。

img_3189 img_3193

他に客は誰もいなかったが、芭露から一人乗ってきた。道路から見えるのは畑や牧場ばっかりである。

img_3247

計呂地が近づいてくるとサロマ湖が見えてくる。海かと思ったが、湖だった(写真は帰りに撮ったもの)。湖と言っても汽水湖であり、潮の満ち引きにあわせて湖の水位も変化する。

計呂地に到着。計呂地の交通公園はとても面白かったので、機会があれば別記事で詳しく書きたい。

img_3227 img_3229

オハ62といえば、加悦鉄道のキハ083の改造種車である。オハ62もなかなか残っていない珍しい車両である。

img_2562これが加悦鉄道キハ083

いろいろ面白い話も聞けたのだが、それはまた後日書くかもしれない。

再びバスに乗って中湧別に戻る。中湧別文化センターTOMには名寄本線の資料が置いてある。中湧別駅跡も少し保存されている。

img_3177 img_3181 img_3188

中湧別から紋別へと向かう。乗客は他にも何人か乗っていた。湧別の町から外れると、ほとんど人も乗ってこなければ降りる人もいなかった。途中、バスはオホーツク紋別空港なども通ったが、誰も乗ってこなかった。

img_3266

紋別に到着。紋別バスターミナルは紋別駅のすぐ隣にあったようだ。紋別駅跡は道の駅になっていた。

img_3269

道の駅の中にあるラーメン屋で昼食をとり、紋別市街を散策した。雨は降っていなかったが、霧がかかっていて見通しが悪かった。もっと平坦な町かと思っていたが、意外と坂が多い街だった。

img_3275 img_3280

紋別から、雄武方面へ行くバスに乗車。雄武行きだが、興部まで乗る。やはり霧がかかっており、ずっと眺めが悪かった。旅行客らしき人が2人ぐらい乗っていた。

img_3284 img_3292

途中で名寄本線の鉄橋を見かけたが、それ以外はあまり廃線跡を見かけなかった。

img_3298

興部に到着。ここで名士バスに乗り換えるが、少し時間があったので、興部駅跡を見てみた。

img_3300

随分と変わった色に塗られたキハ22。どうやら中で宿泊できるようになっているらしい。

img_3301

かつての塗装が少し見えていたり、JRマークも浮き上がって見える。

野ざらしにしては、比較的手入れが行き届いている。

img_3314

名寄行きの名士バスに乗車。下川から人が増えたが、それまで乗客は多くなかった。やはり、人の少ないエリアを走っていた。バスに乗っていると、道にキツネが居た。北海道のキタキツネはエキノコックスを持っているので、触ってはいけないと聞いたことがある。

img_3317

名寄に到着。名寄でも時間があったので、少し町を探索した。

img_3331

跨線橋を歩いていると、200番台を連結したサロベツが居たので写真を撮る。他にも一人神奈川から来たというひとが動画を撮っていた。

名寄にはキマロキ編成が保存されており、それを見に行った。

img_3347 img_3348

キマロキが編成で保存されているのは名寄だけである。かつての名寄本線上に佇んでいる。保存状態は比較的良く、運転台にも入ることができる。ヘッドライトも点灯しており、なかなか立派だった。

img_3351 img_3358

キマロキ編成が置いてある先の廃線跡は遊歩道になっているみたいだが、今回は行くことができなかった。

img_3365

深名線の廃線跡を辿ろうとしたが、それらしき土地を見かけた程度であった。時間があれば、西名寄の方まで歩いたのだが。

img_3377

その後、名寄市立大学を見に行ったりしていると、列車の時間が近づいてきたので、コンビニで夕食を調達して駅に向かった。

img_3379

音威子府行に乗車。1両編成の列車で、立っている人も何人か居た。5日目の最終目的地である美深で下車。

この日泊まった宿は駅のすぐ前にあり、とても便利だった。(続く)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください